なにと戦うのか
数年ぶり(当事者たちも定かではない)に会ったひとと飲んで、食べて、話した。
もう一生会うことはないかもしれないと思っていた人で、もし亡くなっても私は葬儀に行くのだろうか。とまで思っていた人だった。
そこまで思いつめていたのに、会うときは会うもんだなぁ。
会って良かった。
話せて良かった。
とりあえず近況を聞いて、ひとまず健康に生きていること、仕事をしていること、未来や老後を考えていること。
知れて良かった。
知りたくなかったことも聞いてしまったけれど、そりゃまぁ仕方がない。
うすうすは気づいていたことだ。
それとも現実的に向き合って行かなきゃなぁ…
何一つ解決しているわけじゃないけど、とりあえず半歩前進。
前を向いて。死に物狂いで。
大切なひとを大切にする。
2015年の終わりに、人生の大半を共にしてきた親友と連絡を絶つことになり、消化しきれないまま年明け。
2016年の抱負というかテーマのひとつとして、
「大切なひとを大切にする」
を掲げました。
大切なひとを大切に出来ていなかったから、こういう展開になったんだな、と。
もういい大人で、合わないひととは合わせずに、居心地のいい相手とばかり付き合うようになり、それはそれで素敵なことではあったのですが、やはり甘えがあったのだと思います。
気を使わなくていい間柄でも、気は使うべきだった。
気を使わなくていい間柄こそ、思いやるべきだった。
いま周りに居てくれている大切なひとたちが、いつまで側に居てくれるかはわからないけれど、出来る限り大切にしようと思いました。
そう掲げて半年、そのおかげでしょうか、6月に色んなことが動きはじめました。
恋人との出来事を皮切りに、家庭、経済へ発展。
大学時代の友人と久しぶりに会ったり。
二人で会ったことのない友人と会う予定が出来たり。
仕事上で少しだけ進捗があったり。
そして、冒頭の親友から連絡が来たり。
もしかしたら9ヶ月くらい?ぶりに会って、話して。
連絡をくれて良かった。私からは連絡できなかったから。
全てが全て元通りにはならないのだろうけど、(そもそもその付き合い方がお互いに歪みを産んでの現状なわけで)、もし出来るなら、彼女が良ければ、今のお互いにちょうど良い距離感を探していきたいなと思いました。
今後どうなるとしても、今回歩み寄ってくれたことに、感謝です。
勇気を得て、父に連絡をしてみました。
さて、これから半年。
ここが正念場と心得て、結果に繋がる努力をしていこうと思います。
泣くことになっても、泣かせることになっても、来年以降のそれぞれに繋がることを信じて。
贈り物
衣類の処分をしたのがもう二年程前のことになる。
引っ越しを機に大幅に処分した。
参考にしたのは、こんまりさんのときめきの魔法。
参考という程でもないかもしれない。テレビで処分する分野の順番を眺め、衣類の畳み方を眺め。
方法論を知ったのが先だったか引っ越しを考えたのが先だったか。
それまでよりも狭い部屋に越すことは必至だったため、所有物の整理は必須であった。
衣類の次にとりかかったのが本、漫画、雑誌だ。
もともと読書家で大量の本を所有していた。雑誌はその際にほとんど全てを処分した。
漫画もその時点で最低限のものを残した。
小説も一部は処分したが、そもそも小説に関しては図書館などで読んだ後、どうしても手元に置きたいものだけ購入するか、好きな作家の新刊のみ無条件で購入するか、という購入方法だったため、あまり減らなかった。
漫画の方は以前はかなり購入のハードルが低かったことを考えると、
小説は内容、文章に価値を感じるので情報、物語枠。
漫画は見た目、絵柄に重きを置く芸術・趣味枠。
というくくりになるのだなとわかった。
小説は情報なので借り物、データでも構わない。
漫画は趣味なので所有したくなる。というわけだ。
さてこんまりさんの教えによるとこの後更に書類分野、思い出分野と続いていくのだが、(記憶が曖昧、なぜなら)私はここまでしか実施できなかった。
衣類を処分して半年、引っ越してしばらくの間は、下着などの消耗品以外はほぼ衣類を買うことがなくなっていたのだが、一年もすると流行り廃りも激しく。
すっかり購入ペースは戻ってしまっている。
書物に関しては、雑誌はほとんど購入しなくなった。
小説は人から借りるペースに読むペースが追いつかず、好きな作家の新刊をたまに購入する程度。
漫画も追いかけているシリーズものの新刊を買う程度で、引っ越し前から持ってきたもの、これだけは、と思っていたものも、数シリーズ程は売却した。
名作でも、好きでも、手放していいと思う瞬間は訪れる。
その作品がその時期の私に必要だったことは変わらないから。役目を終えたと感じたら、手放すだけ。
さて、表題の贈り物である。
人からもらったものは、それだけでまずは手放しづらい。
こんまりさんによれば贈り物というのは贈られ、受け取ることその瞬間に意味があり、そこで役目を終えるのだということだったが、やはり割り切れないものは割り切れない。
そんな贈り物たちの中で、使っていないもの、出していないもの、なんとなく部屋を見渡してみた。
贈り物ってほとんど使わないのだ。
なぜか。
それは私が金銭を支払っていないからである。
金銭を支払って購入したものは、使わないと勿体ない。だから使う。使うことで罪悪感を減らす。
なんてこと、欲しいと思って使うと思って買ったはずなのに、罪悪感解消クエストの為に使用していたなんて…
この思いつきについては派生しそうなのでまたいつか突き詰めることにして、部屋の中の贈り物たち。
その中で、毎度意識にのぼる、これと、これと、これ…部屋に飾りすらしない、毎回処分の対象として思い浮かべてしまうそれら…
それらは、いちばん長い付き合いだった友人からの贈り物だった。
いちばん付き合いが長く、大好きで、大切な存在の彼女。
贈り物をもらう回数が多いことももちろん理由のひとつだが、ことその『物』に関しては、
私と彼女は、好みが全く違っていた。
彼女は、私の欲しいものを全然知らなかったんだ。
そう思った。
それがひどく新鮮な発見に思え、ブログを書く気になったのだ。
こう感じて、悲しく思った。理解しあってると思っていた彼女が、遠く感じた。
(でもそもそも、理解しあえていなかった…噛み合っていなかった?からこそ、今の状況になっているのだけど…)
だけど書きながら、更に考えをまとめ、思い出してみると、あのとき頂いたお土産は気に入って今でも使っているし、同じ場所を訪れた時に色違いを追加購入までしている。
他にも、あのとき作ってもらったものはすごく嬉しかったし、側にいて一緒に時間を過ごしたこと自体がありがたかったなと、思い出しもした。
やはり、回数の母数が大きいから、趣味の合わないものが多いと感じるのか?
それだけでもないとは思うが、全てがそうではないということだけ、書き加えておこう。
贈り物を贈るときに、いつも頭を抱える別の友人がいる。
彼女はミニマリストで、故に物を贈るのに非常に考えることになるのだが…
(基本原則として消え物になる)
自分に置き換えて考えてみると、相手がミニマリストに限らず、贈り物というのは負担にならないもの、処分に困らないもの、やはり消え物が良いのかな、と思うようになった。
いや
贈り物というのはいらないもの、役に立たないものだからこそ価値がある、という考え方で長らくきたし、それが間違っているとまでは未だに思わないのだけど。
ダブルスタンダード。
結局わたしは、今日のところはまだ贈り物をひとつも処分しない。
【覚え書き】
次の誕生日プレゼントを誰かにねだれるなら、シャンプーボトルにしようかな。詰め替えパックがパックごとボトル内に入れられるやつ、シャンプーとコンディショナーで。
あれ、欲しいけど自分で買おうと思うとちょっと高いんだ。
体重計も欲しいけど、これは早々に自分で買うことになりそう。
あとゴミ箱も、いっそのこと妥協できれば、リクエストしてしまっても良いのかもしれない。
ミニマリストにはなれない。
最近、目にする機会の増えた言葉。
最小限で暮らしていく、物に振り回されない、シンプルな生活。
断捨離や収納やインテリア、というよりは、生き方や概念に近いのかもしれません。
かくいう私も、ご多分に漏れず憧れています。
まず見た目。すっきり清潔で、おしゃれ。
そして心情。
疲れているんです。
若輩ながらもそこそこ長い間生きてきて、もう疲れきっているんです。
毎日働いて手抜きでも一応家事をして、飲みに行って遊んで旅行して、全て自分で選んだ生活ではあるのですが、もう体力がもたないんです。キャパいっぱいいっぱい。
そんな中、つい検索してしまうワード。
ミニマリスト ブログ
ミニマリスト 部屋 画像
元来、インテリアブログが好きなわたし。
ここのところはもっぱらミニマリストの方々のお部屋の画像に癒されています。
塩系インテリア、なんて言葉も見つけました。
シンプルかつ、ちょい男前。グレーだったり、モノトーンだったり、たまらないお部屋たちです。
そんな私ですが、私自身はとてもミニマリストにはなれません。
出したら出しっぱなし、掃除も洗濯もまとめて、更に言えば買い物大好き。
買い物依存症気味なのかと思うことすらあります。
(昔みた映画『お買い物依存症な私!』だったかな?印象的な台詞があります。
「買い物すると、とてもとても幸せなきもちになるの。そしてそのきもちは、すぐに消えてしまうの」
わかるー!!!
そのきもちわかるー!!!
という程度には、依存気味です。
まぁ今のところは、なんとか破綻せずにやってこれてるので、良しとしていますが)
今日もシャツを二枚、靴下を四足買ってきました。
なんでミニマリストについてのブログなんて書いてんだろ。
この記事を投稿したら、洋服を並べて衣替えをしようかと思います。
もう春夏なにを持っているのかわからないから。
把握することで、少しは買い物に歯止めがかかることを狙って…
(今日買っちゃう前にやるべきだったんじゃないの)
ああ。
あとは、オフホワイトかベージュの、膝丈の、フレアスカートが欲しいです。
トレンチコートは毎年欲しい欲しいと言っていますが、毎年街を見渡す限りトレンチだらけだなとも思うので、結局買わない気もします。
着心地のいい春夏ルームウェアも欲しいです。
軽い通勤バッグも。
ミニマリストから始めて物欲で終わる。
私はミニマリストにはなれません。
だけど、ミニマリストという考え方にはとても、共感している。
物を持つって疲れること。
欲しがるって責任を伴うこと。
私のような怠け者にはとてもめんどくさいこと。
そして、魅力的なこと。
では、少しは衣類の整理をしてきます。
おやすみなさい。
成功体験について
成功例の話が聞きたいな、読みたいな、と思ってネットをうろうろします。
読みたいと思うときは書きたいときなのかもしれない。
私が読みたい成功例は、親から愛されなかったけれどこうしてこう生きたら今は幸せです、という誰かの実体験で、
それはまだ見つけられておらず。
私がそれをいつか書けるようになりたいと思っています。
私は親に愛されなかったけれど、いま、こうして、まぁぼちぼち、そこそこ、それなりに、生きて、います。
幸せです。
でもやはり、愛されたかったです。
親の愛を疑う余地もなく生きてきたひとたちには、一生かなわないのだろうな、と思っています。
泣き言も、恨み言も、弱音も前向きも、ここで書いてみよう。
今夜はおやすみなさい。